Good Things Are Coming

アメリカ雪国の田舎シンプルライフ

昔の私から今になって教わる私へのススメ

小学生、中学生、高校生と俗にいう学生時代

スポーツは良いよと母に勧められていたことに影響されたのか、努力や根性論を鵜呑みにしていたのか、忙しい=一生懸命=格好いいと思っていたのか

振り返れば私は常に練習量の多いクラブ、活動、部活を選択していた

 

保育園〜小学生時代は運動神経上の上

身体が小さく軽いことが手伝ってか足も速かった

小学生高学年になると徐々に自分より早い人たちが増えてきて

中学生には、中の上か上の下ほどになっていた(自分記憶調べ)

それでも根性があったのだろう私は、持久走系種目(1000m走、シャトルラン、持久走大会、駅伝、地元のロードレース)は上の上をキープし続けた

所謂得意だったと言って全く過言ではないが、この類の種目は運動能力ではなく粘り強ささえあれば誰でもトップを取れると本当に思っていて、自分を褒めてあげることはしていなかった

寧ろ、1位になれなかった戒め的なものを常に感じていたくらい

文字に起こしてみると、尚更自分に対する厳しさが浮き彫りになる

どこからやってきたのだろうか…

 

小学6年生の時にミニバスケットボールを始めて、中学校もそのままバスケ部に

夏休みも休みは数えるほどしかなく、毎日毎日疑問も持たずに、かといってレギュラーにもなれずに練習に通い続けた

真面目に取り組んだし、声出しもした

本当に何も疑問も持たずに毎日辛かった(笑)

お陰様で持久力は上がり、陸上部でもないのに駅伝大会は県大会メンバーにもなった

 

高校でやっと運動能力が努力や勤勉さで追いつけない苦しさから自分を解放すべくプレイヤーを離れ、マネージャーになった

野球部の

と言うことで、また、来る日も来る日も休まず練習へ通った

試合に出れるわけでもないのに

(今回は沢山やり甲斐もあったし思い出もモリモリなお陰で辛い思いはしていないけど、とにかく真面目に取り組んだ)

 

大学では編入後にアルチメットフリスビークラブに入り、

授業を最大限に履修しつつ、学校内でバイトをしつつ、更に練習・試合に真面目に参加した

この頃は忙しさ、勉強量がバグっていて(特に不得意なはずな理系を専攻していたから)本当に必死だった

 

振り返れば振り返るほど、誰に言われるわけでもなく、私は常に一生懸命真面目に努力ばかりの日々を送っているようだ

真面目はいいことだけど、そこに突飛したスキルや結果が生まれていないのは、多分自分を見つめたり、自分を理解すると言うことに欠けていたんだと思う

今になってみれば

 

タラレバを並べてみると、

バスケではないことに気づいて陸上をやってもよかったのかもしれない(走ることが好きではなかったから、これは違うと思うけど)

そんなに履修を詰め込んで卒業を早めることばかりに捉われず、じっくり勉強したらGPAも上がったろうに

 

決して後悔をしているわけでは全然なくて、自分をちゃんと知れてたらよかったな〜くらいには思うけれど

それぞれの一生懸命な日々の中で沢山の友人や思い出に恵まれている

また、一生懸命やっていた自分がいたからアメリカで大学卒業まで頑張れたりしたんだろうとも思う

今、遅くないのなら、私は過去の私に二重丸、三重丸を送りたい

自分は自分がデフォルトで当たり前と思っていることが多いけれども、社会に出てみるとコンスタントに頑張れるって結構感心できることだった

障害物に遭遇したときに、む〜り〜や〜めた〜ってならずに、自ら問題に取り組んでいけるのってすごく欲しい人材だったりする

そんな人材である自分に花丸を授与

自信を持とう

私は私でいいらしい

 

そんなデフォルトで何事にも頑張れる私は

①自分で自分を追い込まないために

②自分で自分の機嫌をとれるために

もう少しこういう「ゆとり」や「余白」を暮らしに誘致したい

 

どこからやってきたのか、常に自分を追い込む習性はきっとどこにもいかないから、

だからこそ呼吸を深く、意識して、リラックスできる習慣を取り入れたらどうだろうか

 

意識してみよう

 

「夏休み」を振り返ることでそんなことを思う

スーパーの赤黄緑ピーマンの種を植えてみた途中経過