自分との小さな約束を守ること
先日聞いていたポッドキャストで「変わること」がなぜ難しいかという理由の一つに「自分のことを信用していない」という理由があった
どういうことだろうかと聞いていくと、それは「自分との小さな約束を守ること」と隣り合わせだった
例えば、友人と約束を立てると突飛な理由がない限りは守るだろう(ご飯の約束、結婚式のスピーチの約束)
それを利用して、努めたいことに周りの人を巻き込むという方法がある(一緒にランニングをする、勉強会をする)
アクティビティを共にせずとも、「私毎晩ウォーキングしたいんだけれど自信ないから、毎朝出社時に前の晩歩いたか聞いてほしい!」と発破をかけることをリクエストする手段もある
何故これらの場合は(特に上から順に)きちんと行動に移しがちなのか
それは、他人との信頼を損ねたくないから
ご飯の約束をしたけれど、直前になって億劫になる時も、相手に待ちぼうけ喰らわすわけにはいかないと渋々向かうだろう
テスト前にダラダラしていたくても、帰宅後図書館に集合と約束を立ててしまったからには重い腰を上げて向かうだろう
残業したし、もうビール飲んでYoutube観ていたいと思っても、翌朝折角ウォーキングの有無を毎日聞いてくれる同僚にポジティブな返答をできないのは気が引けると力を振り絞るだろう
人は頑張って信用を守ろうとする
ではなぜ「自分で立てた決め事を守り続けることが難しいのか」、言葉を変えると、「自分との約束事は簡単にすっぽかしてしまうのか」
自分のことを信用していないから
自分との約束をどうでもいいと思っている
ただ、それを続けていくと無意識に自分との約束事の優先順位が下がって行き、「変わろう」「始めよう」と思い立っても、続けて実行に移すことができず、習慣化できない
約束事を守れない自分を信用しなくなる
そして、それが自己肯定感を下げる
確かに
確かに他人との約束は守る。何故なら信用を失いたくないから
では何故、それが自分相手だとできていないのか
それは自分が自分の信用を失ってもどうでもいいと思っているからではないのか
「あいつならドタキャンしてもいいだろう」な対象になってしまっていると言うこと
ほう〜 と思った
今まで「やらなきゃ」精神で継続を試みていたけれど、「自分と結んだ約束をきちんと守る」精神をベースに継続していくものなのかと
早速、procrastinate(先延ばし)していた家中の床を拭き掃除し、仕事を一つ段取り、コンタクトレンズを注文した
約束を守った自分を少し見直した
これから、少しずつ信用を取り戻そうと思う(注意としては、約束をしすぎないことと思う)